その頃、LEDの可能性なんて誰も信じてはくれなかった。
「これから信号機はすべてLEDに変わる!」いまから20年近く前のこと。私は社内外に向けてそう訴え続けていた。当時はまだ“LED”などという言葉すら世の中には浸透していなかった。ちょうどその頃、LEDディスプレイの実用化のきっかけとなった青色発光ダイオードが発明され、ダイセルも歩調を合わせてLED封止材用途のエポキシ樹脂の開発に成功。封止材というのは、LEDの発光素子を保護する部材のこと。ダイオードが発する光を十分に透過し、かつその光によって変色変質しない耐久性が求められる。入社3年目の私は、この封止材向けの新しいエポキシ樹脂のマーケティングに関わることになり、そして、その可能性に大いに惹かれたのだ。LEDは低消費電力で製品寿命も長い。そして、ダイセルのエポキシ樹脂によって生み出される封止材は耐久性に優れ、屋外での使用にも応えられる。信号機の表示にはうってつけ。マーケットが生まれないわけがない。しかし、信号機がすべてLEDに変わるなんて、その頃は誰も信用してくれなかった。それが、いまはどうだ? LED信号機なんてもう当たり前になっている。振り返れば、ここに至るまでの道のりは本当にエキサイティングだった。自分が提案したエポキシ樹脂がどんどん採用され、世の中に形になって出ていく。信号機など身近なところに次々と仕事の成果が表れるのを目の当たりにして、大いにモチベーションが上がった。息子にも『あの信号機にお父さんがつくっているものが入っているんだよ』などと自慢できた(笑)。やはり「世の中の役に立てる」ことを実感できる仕事は、面白い。
米国の大手競合が市場から撤退。マーケットが動揺する中、私が打った手は?
2000年代に入ってから、ダイセルのエポキシ樹脂は、市場で大きな存在感を示すようになっていった。特に高品質が求められる領域において、顧客から高い評価をいただいていた。そんな折、大事件が起こった。2005年、アメリカ南部を襲ったハリケーン“カトリーナ”。この巨大台風で、ダイセルと世界シェアを二分していた米国の大手化学メーカーのエポキシ樹脂プラントが被災し、翌2006年、いきなりエポキシ樹脂生産からの撤退を表明したのだ。マーケットの需給バランスが大きく崩れ、エポキシ樹脂を原料としてモノをつくっている世界各国のメーカーから「素材を供給してほしい」というオファーが殺到。実は、私はその米国メーカーの被災状況を見て、もしかしたら撤退する可能性があるかもしれないと考えていた。万一に備えて、ひそかに増産投資の計画を立てていた。そして撤退が表明された翌日、まさかこんな事態になろうとはと驚きながらも、すぐにそのプランを経営陣に提案。そうした大胆な行動を受け入れてくれるのが、ダイセルらしいところだ。かなりの投資を要する計画だったが、トップは「騙されたと思ってお前に賭けるよ」と言ってくれた。
“ネゴシエーション”は嫌いだ。それだけでは、絶対にビジネスは動かない。
とはいえ、化学プラントというのはすぐに建設できるものではない。増産が立ち上がるまでは、世界中の顧客のもとを飛び回って、供給調整に努めた。当時は本当に壮絶な毎日で、一カ月に一度、世界一周していたような状況。ヨーロッパの国はすべて訪れたし、アメリカの州にもほとんど足を運んだ。あっという間にパスポートが真っ黒(笑)。顧客との折衝も、なかなかタフだった。相手にすれば、当然、安い価格で安定的に供給してほしいという要望を出してくる。それをそのまま飲むわけにはいかない。意見が対立する。でも私は駆け引きだけの“ネゴシエーション”は嫌いだ。顧客とのやりとりは、あくまでも“コミュニケーション”であるべきだと思う。顧客が無理な要求を出してくる時は、その背景に何か理由があるはず。たとえば『自社の部品がスマートフォンに採用されることが決まり、そのために安価なエポキシ樹脂が大量に必要だ』という理由があるのならば、やはりその顧客の事業の発展のための力になりたいし、今後の取引の継続も見込める。ならば、今回はその要求を受け入れようと。そうしたやりとりから、信頼関係が培われ、人脈が築かれていく。そしてそれが、次のビジネスにつながっていく。結局、そこに尽きると思う。“人対人”のコミュニケーションを怠るような人間は、ビジネスなんて絶対に動かせない。それが、異文化を相手にするグローバルなスケールならば、なおさらだ。
これからはいろんな枠を取り払っていく。マーケットをさらに進化させていくために。
2012年、私は「部長をやらせてくれ」と会社にかけあった。LED封止材向けではすでに世界トップシェアだったが、その座に安住していてはいけない。新興国の競合メーカーの追い上げも激しい。ただエポキシ樹脂を売っているのでは、事業の発展は望めない。そこで川下に進出し、エポキシ樹脂を使った部品も自ら開発提供していこうという戦略を立てた。「素材」ではなく、顧客が求める「機能」を売るモデルへの転換。その指揮を自分に執らせてほしいと申し出たのだ。ダイセルという会社は「出る杭は伸ばす」というか、「じゃあ、やってみろ」と思い切ってポジションを与えてくれた。こんなに懐の深い会社なんて、きっとそうはない(笑)。そしていま私は、ビジネスを進めるにあたっていろんな枠を取り払っていこうと思っている。たとえば、こうしたマーケティングは技術系社員が担っていたが、文系出身の社員も敢えて登用した。彼らは専門的な技術知識が不足しているものの、だからこそ物事を大きく捉えて、大胆な発想ができる。「エポキシ樹脂は透明で強度があるのだから、自動車のフロントガラスに使えないか」とか「エポキシ樹脂でビルの建材を作れないか」とか……いやあ、そういう発想は私にはできない。面白いじゃないか。また、国境ももう意識する必要はないだろう。アジア全体を私たちのフィールドだと考えて、ダイセルにない強みを持つ海外の同業とも積極的に手を組み、もっと大きな事業を仕掛けていきたい。私たちが手がけるこのエポキシ樹脂は、まだまだ「世の中の役に立てる」可能性を大いに秘めている。同業と一緒に市場を切り拓き、一緒に成長していけばいいじゃないか。目指すのは、アジアにおける“ハイパフォーマンス・マテリアル・カンパニー”だ。いままでにないビジネスの形を、これからご覧に入れよう。